部会

教育部会

OECDの勧告から約20年、日本でも産業構造・社会構造が急速に変化し創造的汎用的能力(コンペテンシーcompetency)が求められるようになった。今後、産業構造は第四次産業革命の影響で、さらに高度知識集積型、創造型へと変化し、雇用も定型的スキルを用いる職業は、早晩、人工知能(AI)に取って代わられる可能性が高い。社会構造も世界一の高齢化・長寿化社会であることから労働人口の急減と相俟って、生涯に渡って第二、第三のキャリアを積み、アイデンティティも複数所有して生きるライフステージの多様化が進行している。。そのため、各ステージを生きる社会的能力スキルと同時に問題解決力や創造力が必要となった。
当然、少ない人口で産業・社会を支えていくわけであるから、全ての人々が可能性を開発し豊かなコンペテンシーを所有できる教育方法の創出が重要である。しかし残念ながら、人々を上下縦型の評価に組み込み可能性を抑圧してしまう伝統的な系統主義教育(教師主導、画一的・直線的受け身学習)ではこれを実現することは不可能である。このため教育部会では、新たなパラダイムに立脚した主体的学習が必要と捉え、長く高次・ディープアクティブラーニングを検討・考察してきた。
また同時に、現在学校現場で問題になり、生徒、教師、保護者を苦しめている教育病理、特に不登校、いじめ、自殺などについても検討し問題解決を探って来た。

エイジング部会

語り旅部会

― 語り旅部会の再開について ―

語り旅部会 佐々木かなこ

日本人間関係学会は、1993年(平成5年)に、茨木俊夫先生(故人)により創設され、これまで、27年間におよぶ研究活動を続けてきました。
茨木先生は、設立当初から学会員の交流活動が大事であると考えられて、先生ご自身が先頭に立ち、「語り旅」と名付けて活動を続けてこられました。会員の親睦と新入会員確保の機会として様々な実践をしてきました。
設立当時は、学会員も500名を超える活気に満ちた様相にありました。その後、紆余曲折を経て会員の減少もあり、語り旅部会は参加者不足や担当者不在が続いてやむなく休会となりました。
しかし、今般、早坂先生が新理事長に就任され、創設者の理念に基づいて新たな船出をするとの意向に沿い、語り旅部会を再開することにしました。改めて会員相互の親睦を図り、さらに様々な活動を通して未入会員の方々に、本学会への関心を持っていただく機会にしたいと考えております。ご参考までに、これまで実践してきた中から一例を紹介いたします。
1997年(平成9年)に、「四万十川の源流を訪ねて」のテーマで、高知県東津野村を訪ね、「最後の清流、四万十川」のキャッチフレーズが誕生までの取り組みについて、役場職員の方からお話をうかがいました。また、実際に分水嶺のある奥地まで案内をしていただきました。当時は、竹下総理の「ふるさと創生1億円」の時勢でした。東津野村は、その使いみちについて話し合いを繰り返し、その結果、世界で自分たちと同じ条件の地域を訪ねて、山村の暮らしを考えることにしました。その対象がスイスでした。スイスといえば世界のあこがれのリゾート地。毎年、村民10人ずつが1グループとなり視察を重ね、スイスのコミュニティーと交流をしました。自然環境としての本来の山や川のあり方、生活の仕方を学び合いました。その交流体験を通して、山奥の暮らしは、自分たちがリゾート地で暮らしていると誇りに思う意識にあると考えました。住民が暮らし方を見直すことにしたのです。それが1億円を使った学習でした。その後、コンクリートで固められた護岸をはがし、水生昆虫の宿る中州を復元し、元の川に戻す取り組みをしました。国土交通省や県の土木課など根気強く交渉を続け、さらに下流域の市区町村との連携など、気が遠くなるほどの苦労を重ねてきたとのことです。それが清流四万十川の誕生でした。自然と人間の共生、共に暮らす住民同士の関わり方など考えさせられることばかりでした。宿泊は、村の公営宿舎をお借りし、夕食は女性の会が伝統食を用意してくださいました。そして、語り旅の特徴である車座宴会が続き、村民との語り合いは学びの深い有益なものとなりました。
この回の語り旅では、高知県の方が3名入会され、東津野村の役場職員は学会関連の場で発表していただきました。
今年度は、新型コロナウイルスの影響があり、計画も立てにくい状況にありますが、可能な限り実施したいと考えております。ご理解、ご協力を宜しくお願い致します。